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著者・編者略歴

1947年広島県福山市生まれ.東京教育大学教育学部芸術学科書専攻卒業.専攻は古筆学.現在,センチュリー文化財団研究員・清泉女子大学非常勤講師.

内容

本阿弥光悦・松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」として日本書道史上にその名を謳われてきた近衛信尹。書、和歌、連歌、絵画の諸道に優れた才能を発揮し、特に書道は青蓮院流を学び、さらにこれを発展させて近衛流または三藐院流と称される一派を形成した。
本書では信尹の生涯を彼の残した手紙から読み解き、隠れた素顔を明らかにし、さらに能書としていかに遇されてきたのか、その書とはどのようなものであったのかを改めて考えなおす。

■前田多美子女史の新著に薦す (小松茂美)■
 関白近衛信尹 ─一三〇〇〇余年の「書の歴史」の中の一異才。闊達無比の華の美が魅力。一群の手紙を現存する。日々したためたそれらの控え八〇〇通をも残している(陽明文庫蔵)。けだし驚目。かような人はいない。
 それらのすべてを眼底に沈めて一通一通の解説に挑む。歳月五年の営為。少年期から命終に至る全生涯を紡ぎ出す。歴史學と美術史にまたがる、希有な新収穫の學業である。

目次

前田芳光翁に捧ぐ前田多美子女史の首途への讃(小松茂美)

はじめに

第1部 近衛三藐院の生涯

 1 生い立ち
  誕生
  前久出奔
  在国の少年時代
  帰洛     

 2 元服──信長の庇護のもとに──
  元服
  信基の好きな物
  信長の死
  前久出家

 3 関白相論
  近衛家当主信輔
  関白相論
  関白は羽柴秀吉
  秀吉、天下様
  信輔の懊悩と「言上状」
  「小田原への状」
  秀次、内大臣から関白に
  聚楽第行幸 

 4 薩摩配流 
  秀吉の朝鮮出兵と信輔の名護屋下向
  後陽成天皇の女房奉書二通
  信輔、勅勘を蒙る──「一書の覚」
  信輔の反論
  薩摩配流決定
  旅の道中、あれこれ
  坊津の日々
  望郷の念 

 5 帰洛
  秀次、失脚
  秀次事件の波紋
  信輔、坊津から鹿児島へ
  長蔵と知行
  信輔赦免への道
  帰洛の旅
  都では

 6 改名、還任、関白となる
  都に戻って来た
  改名、信輔から信尹へ
  時代は移る──関ヶ原の戦い
  関ヶ原以後
  関白近衛信尹
  養嗣子信尋
  江戸下向

 7 信尹の素顔
  「ままようくふ人」──グルメの信尹
  酒
  病む

 8 信尹、死す
  書置
  太郎は姫か
  太郎と楊林院
  「六ヶ条」
  信尹、死す    

第2部 近衛三藐院の書

 1 能書の評判、注文の数々──御哥にても何にても詩にても──

 2 書風の変遷、近衛流確立に至るまで
  信基時代
  信輔時代前期
  信輔時代後期──嵐の季節の波瀾万丈と書風の変化
  薩摩配流中の書
  信尹時代前期
  晩年の書

 3 近衛流はどこからきたか
  「御筆勢、別して見事に候」
  尊円親王批判
  信尹と藤原定家、そして定家流
  信尹書訣十五箇条
  信尹と禅
  近衛信尹の書とは 

 4 遺墨
  調度手本
  大字仮名
  色紙
  自画賛

 5 近衛流の人々、手本の刊行
  近衛流の人々
  近衛信尋とその兄弟
  徳大寺実久と花山院忠長、猪熊教利
  和久半左衛門
  連歌を介して
  近衛流手本の刊行
  近衛流最後の人

おわりに
挿入図版一覧

関連リンク

陽明文庫創立70周年記念特別展「宮廷のみやび―近衞家1000年の名宝」

東京国立博物館で平成20年1月2日から2月24日まで開催中です

紹介媒体

  • 朝日新聞朝刊読書面

    2006年6月11日

  • 目の眼 9月号

    2006年9月1日

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