内容

近代日本画が生まれて来るとき、一体、どんなことが起こっていたのか──しがらみにとらわれず、自由な視点で天心・大観・春草の軌跡を丹念に追って、随所で埋もれていた史実を発掘。天心・大観・春草像を新たに彫琢した野心作。

目次

Ⅰ 第四の道――自然発達路線
   欧米美術調査へ
   ラファージの最新美術情報
   茶の湯の発見
   精力的な美術調査
   天心の生い立ち
   フェノロサとの出合い
   工部美術学校と日本画擁護運動
   フェノロサの『美術真説』
   法隆寺秘仏の開扉
   図画調査会と鑑画会
   欧米美術調査の帰朝報告
   辞表を懐に
   古美術保護に
   芳崖の『悲母観音図』

Ⅱ 天心の独創教育
   東京美術学校の開校
   懸腕直筆
   帝国博物館発足と『国華』発刊
   天心路線
   『日本美術史』講義
   中国美術調査
   創作を最重点に
   英才教育
   禅の手法
   禅との接点
   授業成績物展覧会
   『図案法』――カネ割り
   分期制教室――教室の画塾化
   西洋画科の新設
   古画の模写事業
   日本絵画協会第一回絵画共進会
   美術学校騒動の伏線

Ⅲ 琳派の発見
   東京美術学校騒動
   日本美術院の船出
   歴史画の流行
   無線描法へ
   遠近法の放棄
   彩色モデル――琳派
   琳派の発見者
   東京美術学校との和解
   天心、インドへ――『アジアは一つ』
   初の英文著作――『東洋の理想』
   政治綱領――『東洋の覚醒』
   大観、春草のインド行き
   アメリカへ
   ”日本美術の新しい古派”
   ”大統領のテーブル”
   日本の主張――『日本の覚醒』
   琳派宣言――『絵画について』

Ⅳ 西洋画の克服
   『茶の本』――いま一つの『日本の覚醒』
   老荘思想で茶の湯を説く
   天心屋敷の茶空間
   美術院、五浦へ
   文展の開催
   五浦の制作風景
   雅邦逝く
   五浦割拠の解体
   春草『落葉』と大観『流燈』
   美術品収集の渦中に
   小泉八雲とフェノロサ
   『泰東巧芸史』講義
   南画の採取
   春草逝く
   日本人と中国人の美術観
   『白狐』とプリヤンバタ
   愛の往復書簡
   日米交換教授
   天心逝く―――最後の仕事・法隆寺壁画保存

Ⅴ 再び美術院の旗を
   日本美術院の再興へ
   「親のない後は兄弟です」
   日本美術院再興記念展覧会
   新光琳派の展開
   洋画部の消滅
   写意か写実か
   天心路線の結実

紹介媒体

  • 神戸新聞

    2004年12月19日

    書評欄

  • 新美術新聞

    2005年2月11日

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