内容

本資料は尾張領内と京都・大坂・江戸を中心に各地域を結ぶ尾張飛脚の飛脚問屋であった井野口屋の記録である。

※原題は「井野口屋飛脚問屋記録(竪帳和綴、全33冊)で享保8年(1723)から天保14年(1843)までの記録を収め、近世の飛脚史・郵便制度の資料的空白を埋める貴重な史料。

※記録には飛脚問屋としての営業規則・仲間の規約、飛脚人夫の雇い方、飛脚賃、飛脚経路などや、藩主・家臣との間での飛脚の認可・契約の証文などがみられる。飛脚制度やその実態解明には絶好の基本的な資料である。

第3巻(第17~24冊)の内容
 本巻収録分には、名古屋会所の移転に始まって、幕末にかけて井野口屋の営業悪化を促進する要因となった犬山産物会所との確執、宰領がかかわった飛脚荷物の盗難や事故の記録、風水害による飛脚荷物運送の遅延など、飛脚営業の詳細な記録を特色としている。
 井野口屋は文化4年(1807)、享保8年(1723)以来営業拠点としていた名古屋本町会所を長者町に移した。17冊にはこの記録が載せられている。移転の理由は別にして、井野口屋の独占的な営業権益が脅かされる要因が増えてきたことに関係がある。その一つが犬山物産会所であった。
 18冊と24冊には、営業悪化の大きな要因となった犬山産物会所との確執が記録されている。犬山物産会所は、尾張藩有力家臣の成瀬氏知行地であった犬山地域の産物を取り集め、京都・大坂に運ぶ物資集散拠点として開設された。ところが物産荷物だけでなく飛脚荷物も取り集め、尾張藩領の飛脚荷物・商荷物を独占していた井野口屋の営業権益を脅かすようになった。井野口屋の飛脚業務との競合である。井野口屋はこれをくい止めるために、享保8年以来の特権をたてに何回も尾張藩に訴願を出している。その経緯が詳しく記録されている。
 当時の独占的な営業慣例を突き崩す動きとそれに対して旧来の特権を守ろうとする動きの確執の事例とみることができよう。
 19冊から22冊には、大雨や大風による街道筋川々の増水による運送の遅延、川越の際に優先的な川渡しに宰領の帯刀が必要なことなどが記される。興味深いのは、御用荷物の遅延の防止、円滑な配送には宰領の帯刀が効果的であることを強調して、身分上の特権の獲得という思惑とは直接には無関係に、宰領帯刀の願を繰り返していることである。
 また23冊には、御用荷物の盗難があり、被害額が千三百両で、犯人が宰領であったことが記され、井野口屋の営業実態をうかがうことができる。

紹介媒体

  • 日本経済新聞

    2004年2月3日

    渡辺忠司(編者)による紹介

    文化面

  • 読売新聞夕刊

    2004年6月10日

  • 朝日新聞夕刊

    2004年6月24日

    今井邦彦

    編者渡辺忠司氏へのインタビュー。「郵政改革、江戸期にも」「歴史から「今」を考える」。

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