内容

近世後期の在村知識人の姿を具体的な事例によってその諸相をとりあげ、民衆の儒学が教育の近代化とどう関わっていたかを探る。

目次

序章
 構成について
 儒学知とその分析方法について
 若干の術語等について

第1章 民衆儒学と教育近代化
 日本民衆教育史研究における近代化研究
  日本近世民衆教育史研究史の2つの特質
  教育諸機関の接続の問題
  教育史研究における儒学教育の位置づけ
 近世儒学研究史と近代化問題
  儒学と近代との関係把握
  儒学と民権運動との関係把握
  儒学と近世民衆運動との関係把握
  民衆の儒学思想研究

第2章 幕末維新期の民衆における漢学教育
 郷学論争と郷学研究の課題
 信濃国下伊那郡の私塾・手習塾・郷学
  信濃の郷学に関する先行研究
  手習塾廃業と郷学設立経緯
  漢籍学習の要求
 幕末維新期の漢学教育要求

第3章 儒学と農業-吉田芝溪の事例-
 吉田芝溪とその著述
 芝溪の在村の立場
  『開荒須知』における主張
  『孟子辯』の在村的立場-現実主義的な態度-
 芝溪の儒学ー「忠信」と易姓革命肯定論理-
  『孟子』と芝溪
  易姓革命に関する態度の問題
  教育と「姓」
  教育方法
  「忠信」の問題-易姓革命肯定論理との革命-
 芝溪の儒学理解の特質と儒学受容

第4章 漢学教養の形成ー松尾亨庵の事例(1)-
 松尾亨庵とその漢詩
 11年稿の検討
 13年稿の検討
 15年稿の検討
  富貴に対する考え方
  帰国と「官」に就くこと
  老荘思想との関わり
 18年稿の検討
 遊学時代の交遊関係
 蔵書に見られる亨庵の漢学教養

第5章 儒学と救民行為-松尾亨庵の事例(2)ー
 儒学的徳目の社会実践的把握
 政治批判と学問観
  政治批判の姿勢
  学問観
 「十三経」への註釈作業から見た亨庵の儒学理解
  『論語』への註釈と古註学
  合理的思考
  『孝経』への註釈
 亨庵の理想世
 亨庵の儒学理解の特徴点と性格

第6章 儒学と主体形成-若林嘉陵の事例-
 若林嘉陵とその弟子中庭蘭溪
 嘉陵の関心の所在
 嘉陵の儒学-『私門示言』の検討-
  「孝」実践を「本」を務めるることとする立場
  「道」・「教」・「礼」における道徳と政治
  天下国家の問題
  教育のめざす方向と学問態度
 嘉陵の儒学理解と儒学教育の帰結
  儒学概念の階層構造と徳目の政治性
  「乱」に対する嘉陵の態度
  嘉陵の儒学の問題点

第7章 崎門派の在村儒学と学校構想-秀嶋鼓溪の事例-
 松浦地方の諸塾と秀嶋鼓溪
  吉武法命以降の諸塾と秀嶋鼓溪
  鼓溪の著述
  百姓一揆と秀嶋鼓溪の立場
 『積慶録』に見られる「慶」きもの
  登場人物の分析
  褒章と村役人層
  塾師たちの扱い
 鼓溪の学校論をめぐって
  法命以降の諸塾の性格
  鼓溪の学校構想
  教育内容・方法について
 在村崎門派の儒学と教育

第8章 在村知識人と近代化
 幕末期の在村知識人-松尾亨庵の弟子たちを中心に-
  松尾亨庵の弟子たち
  小木猪兵衛と南山三十六ヶ村一揆
 在村の儒学の「現実主義」と学問観の転回

第9章 結論と今後の課題
 本論のまとめ
 儒学知に関して
 今後との課題

原題及び初出誌一覧
あとがき
索引(一般人名・研究者名・事項) 

紹介媒体

  • 日本教育史研究17号

    1998年8月

    山中浩之

  • 日本史研究436号

    1998年12月

    川村 肇

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