しみのをしへ

最近ひょんなことから中世に興味を持ち始め、
通勤のつれづれに新古今歌人たちの歌をちらほらと興味本位に読んでいたりします。
そんな中で見かけた一首。
いかにせん御法のちりを払にもしみのをしへや猶残るらん (慈円)
建久二年(1191)閏十二月、この歌の作者である慈円の甥で、
書道・後京極流の祖としても知られる九条良経が
『十題百首』なる、「天(天象)」・「地(地儀)」・「居処」・
「草」・「木」・「鳥」・「獣」・「虫」・「神祇」・「釈教」の
一風変わった十個の題について各十首ずつ・計百首を詠むという百首歌を企画します。
そして、良経に応じてこの百首歌に参加した歌人としては、
慈円の他、藤原定家や寂蓮などが知られています。
ここに挙げた歌はそのうちの慈円詠の一首で、「虫」題の「紙魚」について詠んだものです。
もちろんこれはあくまでも題詠の歌ですので、
必ずしも実景を詠んだ歌という訳ではないでしょうし、
また、歌の典拠となっている物語文学や漢籍を突き止め、
それを踏まえて歌を解釈される国文学のプロの方々からは
怒られること必至ですが、慈円さん、実は、実際にこの状況を
体験しているんじゃないかな~と思ってしまいます。
おそらく歴史だけは積み重ねてきたのであろう
埃とも砂ともつかない正体不明の「塵」のザラザラ感、
また、書いてある字が見えないほどに紙の上を縦横無尽に走り、時には能書と紛うほど(!?)
芸術的な模様をつくる虫穴の様子、それら塵や虫穴どものあまりのすさまじさに、
「御法のちり」「しみのをしへ」なんて、
ほとほと呆れつつも苦笑まじりに茶化したくなるような気持ち。
この歌をつくづく眺めていると、普段から古本に慣れ親しんでいる一介の古書屋には、
そういったものが、皮膚感覚を伴ってリアルに伝わってくる気がします。
約800年も昔の天台座主に共感できるこの瞬間こそ、古書屋の醍醐味!
・・・・・と、勝手に満足している今日この頃です。
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昔聞くしみのをしへの跡は今もいかにせんとてながむばかりぞ
(藤田)