あの人が愛した食べ物

思文閣の社主(以下、社内の通称に従って「会長」)田中周二が鬼籍の人となった。
商売に関して極めてストイックな人で、かつ昔気質の頑固爺だったというのが、
生前の故人を知る方々に共通する人物像であったに違いない。
2011-10-27 15.37.04
そんな仕事一筋の会長に入社早々の私が初めて怒鳴られた一言は
「俺(会長の一人称は普段「僕」であるが、怒りの沸点に達した時は「俺」になる)
が降りんでエエゆうてんのに、なんでお前は降りるんやっ!」だった。
何のことはない、当時から会長が退社して自宅へ送るのは新人営業の仕事であったが、
道すがら行きつけの八百屋さん(東大路通沿いにあったが今はもうない)で
「お芋さん」をしょっちゅう買っていた。
その時会長は車から降りることなく、会長がパワーウィンドウを下げれば、
すかさずおばちゃんが袋に詰めた「お芋さん」を届けてくれたのである。
結局、常連客の特権を享受していた会長にとって私の独断はその楽しみを奪うものであった。
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戦後の食糧難を生きてきた会長世代にとっては、恐らく芋は嫌というほど食べたはずであり、
実際その世代の特に男性で「芋が嫌い」という方は比較的多いが会長は例外であった。
その一件以来、私が会長に許していただくまでは相当の時間を要し、
会長からそのお芋さんのおすそ分けを頂いたことは全くと言っていいくらいなかった。
…そんなことを告別式の時思い出していた。
出棺の際、棺を運ばせてもらったが、非常に不謹慎ながらも
「棺にサツマイモを入れてあげたら喜ばはるやろなぁ」と思っていた。
告別式から帰ってきて、
会長が入院される直前に思文閣本社社屋のはす向かいにオープンしたばかりの
コンビニの前を通りかかった時、「焼き芋」の幟が眼に入った。
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今でも会長がそのコンビニの店員を困惑させながら「お芋さん」を買っているような、
そんな気がして私はちょっと泣いた。
…それがこの秋の出来事だ。
(入江)