神仏います近江 瀬田編

「神仏います近江」は、滋賀県のMIHO MUSEUM滋賀県立近代美術館大津市歴史博物館
三館が合同で開催している企画展です。
前回の記事 神仏います近江 信楽編 も合わせてご覧ください。
さて今回は滋賀県立近代美術館で行われている「祈りの国、近江の仏像-古代から中世へ-」のレポートを。
MIHO MUSEUMでは天台宗の草創期をテーマとした企画展が催されていますが、
こちらの滋賀県立美術館は、平安時代から桃山時代までの近江に現存する仏像を展観しています。
seta.jpg
最澄によって比叡山に開かれた天台宗は、10世紀に入り次の段階を迎えます。
延暦寺・三井寺・石山寺といった大寺院のものであった天台宗が
地域社会に根ざした宗教として近江各地の集落へ浸透していくのです。
滋賀県には、村落の中に建つ在地の寺院や自治会によって守られている
小さなお堂などが多く存在し、そこには重要文化財級の仏像が安置されています。
今回の企画展では、このような各地に点在する貴重な仏像を一堂に集め、
宗教と社会のかかわりかたを仏像から見出そうとする試みがなされています。


湖南市にある善水寺は、典型的な延暦寺の拠点寺院です。
正暦4年(993)の納入文書をもつ本尊・薬師如来坐像は、延暦寺根本中堂の本尊である
薬師如来像(立像)を坐像に翻案したものといわれています。
この本尊を囲む仏像のうちのひとつ、帝釈天像が今回出品されています。
本尊と同時期、すなわち10世紀末ごろに制作されたものとされ、
下半身の衲衣や裳の衣文が、当時の造形の特徴をよく表しています。
10世紀以降、延暦寺による荘園の開発や支配が進み
その拠点として天台宗の寺院が多く近江各地に建立されます。
中に納める仏像も、やはり延暦寺のものを模したもの。
天台王国ともいうべき一大勢力のシンボルが拠点寺院であり、仏像だったのです。
* * *
一方で、中世に入ると天台宗の影響下にない寺院もあらわれます。
源平の合戦で焼かれた東大寺と興福寺が復興し、勢力を広げてくるのです。
湖東地方の多賀町に、敏満寺という地区があります。
今では地名を残すのみとなってしまいましたが、中世には大規模な寺院と墓地が存在していた、
ということが各種の史料や近年の発掘調査から明らかにされています。
敏満寺区には、その寺跡を継ぐお堂が残されており、多くの仏像が現在に伝えられています。
銅製の仏像に鍍金を施した大日如来坐像は、12~13世紀(鎌倉時代)ごろのものとされ
像高13.7cmと決して大きくはないのですが、その造形は慶派の特色を色濃く残し、
当時の敏満寺と東大寺大勧進重源の関与が垣間見えます。
* * *
権力、地域社会、そして宗教は、密接にからみ合い文化をつくりだします。
仏像は信仰の対象としてのみならず、社会を反映するものとして見ることもできます。
MIHO MUSEUMとはまた違った視点で仏像を楽しめる展示でした。
(松本)