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“ 華堂 ” の検索結果
10件のうち1〜10件
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作家名略伝
いっかどう じょうあ
一華堂乗阿
略伝江戸前期の和学者・歌人・時宗の僧。甲斐生。武田信虎の子(一説に猶子)。号は乗阿・一華堂・一花堂。駿河長善寺の体光に入門、同寺住職となる。高井尭慶・冷泉為和・三条西実枝らに学び、実枝から古今伝授された。後陽成天皇に進講、また、林羅山・菅玄同らにも『源氏物語』を講義した。晩年は京都七条道場金光寺に住した。元和5年(1619)歿、89才(一説に80才)。 -
きだ かどう
喜田華堂
略伝幕末・明治の画家。美濃生。名は景静、字は伯寿、別号に竹石居・半舟翁等。京に出て岸駒・岸岱に学び、のち名古屋に住し画業を開く。名古屋に於ける岸派の祖といわれる。明治12年(1879)歿、68才。 -
国井華堂
略伝日本画家。煌彩社同人。川合玉堂・菊池華秋に師事し、花鳥・山水・人物を能くする。東京住。 -
つばき ちんざん
椿椿山
略伝江戸後期の文人画家。江戸生。名は弼、字は篤甫、別号に琢華堂・休菴・羅漢等。幕府の槍組同心をつとめ、文武ともに優れた。画は金子金陵・渡辺崋山に師事する。柔軟な筆と温雅な彩色による画調に特質があり、肖像画と花鳥画に優れた。俳諧・煎茶にも通じた。安政元年(1854)歿、54才。 -
にしかわ すけのぶ
西川祐信
略伝江戸中期の浮世絵師。京都生。号は自得斎・自得叟・文華堂、通称は宇右衛門・右京。初め狩野永納・土佐光祐に画を学んだとされる。八文字屋本の挿絵を多く手がける。のち菱川師宣らの風を摂取して浮世絵師に転向。上方浮世絵界の開拓者的存在である。寛延3年(1750)歿、80才。 -
むいん どうひ
無隠道費
略伝江戸中期の曹洞宗の学僧。長門生。号は雑華堂。無得良悟の法を嗣ぎ、因幡の興宗寺・石見の円光寺・松林寺・加賀の実性院等に歴住、長門の大寧寺の住職となる。著書に『無孔笛』『金龍尺牘集』等がある。宝歴7年(1757)歿、69才。 -
やまだの かかし
山田案山子
略伝江戸後期の読本・浄瑠璃作者。大坂の人。俗称は圭(桂)蔵・定七、屋号は大和屋、号は好華堂・野亭等。若い頃には狂歌を能くし、また筆工家を本職とした時期もあった。版元の代作者となったことから、文政頃から読本・浄瑠璃を書くようになり、植村文楽軒の専属作者として活躍した。一方では通俗啓蒙教訓書を制作した。弘化3年(1846)歿、59才。 -
よしおか けんじ
吉岡堅二
略伝日本画家。東京生。父は日本画家吉岡華堂。野田九浦に師事する。帝展で活躍、特選となる。福田豊四郎・小松均と山樹社、豊四郎・岩橋英遠らと新日本画研究会を、さらに新美術人協会を結成し日本画の革新運動を展開、大胆なフォルムの豪快な作風で画壇に新風を送り込んだ。戦後は、山本丘人・上村松篁・豊四郎・高橋周桑らと創造美術を結成、常に新傾向の日本画を追求し続けた。芸術院賞受賞。東京藝大教授。平成2年(1990)歿、83才。 -
楠南谿
略伝江戸後期の儒医。本姓宮川、通称東市、字は恵風、名は春暉、別号に梅華仙史・梅仙・黄華堂。伊勢久居生。香川太冲・賀川子玄・畑柳安に私叔。朝廷御医に仕え先物実試の要を説く。諸国を遍歴し山川霊勝を探り、よく痼疾者を治療した。著書に『東西遊記』『傷寒外伝』等がある。文化2年(1805)歿、53才。 -
龍門宗禹
略伝江戸中期の臨済宗の僧。玉林院九世。大龍宗丈の法嗣。表千家七世如心齋の叔父。桃華堂と号する。寛延元年(1748)寂。