タジマモリの墓

こんにちは。
ふるい方の佐藤です。
過日、西大寺界隈を歩きました。
近鉄橿原線で西大寺駅から一駅、尼ケ辻駅のほど近くに、垂仁天皇陵(宝来山古墳)が鎮座されています。
御陵をめぐる掘割に、ぽっかりと小さな島が浮かんでいて、これはタジマモリ(田道間守)の墓であると伝承されています。
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タジマモリは、垂仁帝の命を受け、永遠のいのちを授けるという「トキジクノカクノコノミ」
探索のため、「常世国(とこよのくに)」へ遣わされた人物。
ついにこれを探し当て持ち戻ったのですが、すでに帝は亡き後。
田道間守はその陵墓の前に伏し大声を上げて哭き、そのまま果てたとの逸話が古事記・日本書紀に
伝えられています。
このとき彼が持ち帰ったものが橘であったとされ、我が国における始原説話ともなっています。
歴代天皇の被葬地比定は、国学の勃興隆盛した江戸中期以降、時々の思潮を背景として順次すすめられてきたといいます。
記紀の伝えるところに、陵墓そのものの有り様と当地の伝承とを重ね合わせ読み解いてゆく営みには、様々な力学が働いたであろうことは想像に難くありません。
奈良盆地を走る列車の窓から、連綿と続く青い山なみを眺めていると、自然と、やまとは国のまほろば…との古歌が思い起こされます。
 たたなづく青垣 山こもれる やまとしうるはし
と続く歌ですが、とりたてて奈良にゆかりのない身でさえ、それだけでどこか懐かしいような感覚に
おそわれるのですから、大和の国ぶりには、今も昔も特別な力が働いているのかもしれません。
そうした気分で眺めるとき、たとえば大きな陵墓のかたわらにぽつんとたたずむ丸い塚をみて、
これに帝の死を嘆き墓前に果てた男の姿を見ることは、いたしかたのない人情であるようにも感じられます。
その後、帰途には西大寺駅の東方、平城宮跡の北に広がる佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群を訪れました。
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こちらは大型の前方後円墳七基を中心とする古墳群で、この内には、先の垂仁天皇の后である日葉酢媛(ヒバスヒメ)の御陵もあります。
この日葉酢媛は丹波道主王(たにはのちぬしのおおきみ)の娘で、さきのタジマモリ(田道間守/但馬守)と併せて、垂仁朝と山陰方面の勢力との深いつながりを思わせることが、従来より史家や文学者の想像力をとかく刺激してきたようです。
(佐藤)