「夢の跡」に佇む

先日、夏休みを利用しまして、平泉の中尊寺と毛越寺へ行きました。
生まれも育ちも関西である私にとっては、
今まで東北の地は縁遠かったため、今回初めての訪問となります。
両寺とも「平安末期における奥州藤原氏の浄土思想を表した史跡」として、
学校で習ったり本を読んだりして認識はしていたつもりでしたが、
実際にその地に立ってみると、その「認識」が「体感」に変わっていくような気がしました。
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毛越寺は、奥州藤原氏2代・基衡から3代・秀衡の時代にかけて建造された寺院ですが、
現在では庭園と建物の遺構が残るのみです。
でも、その南大門跡に立ち、そこから広大な庭園の池を挟んで対岸に存在していたであろう
往時の伽藍の姿を想像すると、
藤原氏がこの地に具現化しようとした「浄土」の面影が偲ばれます。
逆に、藤原氏初代・清衡が建立した中尊寺では、
絢爛豪華かつ細密な装飾が施された金色堂や、中尊寺の宝物館である讃衡蔵に収められている
仏像・工芸品・経典などの芸術性にすぐれた当時の文物を実際に目の当たりにすることによって、
藤原氏の「浄土」に対する熱意、のようなものを肌で感じることができた気がします。
そして讃衡蔵では、来館者の方々が展示を見ながら奥州藤原氏のことや、
平安末期の歴史について語り合っている姿が多く見られるのにも驚かされました。(しかも皆さん詳しい!)
普段足を運んでいる関西の博物館とは一味違った趣きがあり、
館内の雰囲気も味わい深いものに感じられます。
また、当ブログでも以前触れましたが、中尊寺では今年、
12年ぶりに秘仏・一字金輪佛が御開帳されています。
(その時の記事はこちら
一字金輪佛は、藤原氏3代・秀衡の念持仏と伝えられ、「人肌の大日如来」として知られている仏像で、
その穏やかで神秘的なお姿には、惹き込まれるような魅力があります。
今回の御開帳には「東日本大震災復興祈願」の目的も含まれているようですが、
秀衡公が祈りを捧げた当時同様に、今もこの仏様からお力をいただけるような気がしました。
奥州藤原氏自体はわずか4代・100年程で滅びてしまいますが、
彼らがその100年の間に築いた文化・文物がおよそ800年もの時を経て
21世紀の私たちにまでこうして伝わっているのは、
偶然の部分もあるにせよ、やはり、この間の人々の、伝えていこうとする努力の賜物でもあると思います。
こうして伝承されてきた文物には、
作られた当時から連綿と受け継がれてきた文化や歴史を背負って今に伝わることを、
古典籍を扱うものの端くれとして改めて心得ておかなければいけないな、と感じたひとときとなりました。
(藤田)