花のみなもと

こちらではもう割と葉桜になってきていますが、
「一目千本」といわれる桜の名所・吉野ではそろそろ見頃を迎えているようです。
そこで、この京都の地から吉野の桜に思いを馳せて、一首。
むかしたれかゝるさくらのはなをうへてよしのをはるのやまとなしけん(九条良経)
この歌は建久元(1190)年9月に披講された「花月百首」の巻頭歌です。
「花月百首」は、同年2月に没した歌人・西行への追悼の意を込めて、
西行の愛した花と月を主題として詠んだ歌を五十首ずつ、計百首を詠んだ百首歌で、
ここに挙げた九条良経の他、藤原定家や慈円、寂蓮も百首歌を披講しています。
その中で良経の花五十首は、西行への追悼だけでなく、花が咲いて散るまでの時の移ろい、
そして、それに寄せる人の思いの移ろいが歌の配列によって表現されているのがわかります。
つまりは、この歌から花の五十首がはじまり、以降、桜に対する思いを乗せた歌が、連綿と綴られる。
それを念頭に置いて、改めてこの歌を見てみると。
日本人は桜の美しさ、儚さに魅せられ、そこに自分の喜怒哀楽を寄せて歌を詠み、
桜に対して特別な思いを抱いて愛でてきた。
この、日本人の中に連綿と受け継がれてきている桜に対する愛着も、
遠い昔、誰かが桜を植えはじめ、そこに多くの人が共感を寄せなければはじまることはなかったのだ・・・。
一見単純素朴に見えるこの歌が、花五十首のはじまりに配されることによって、
桜に思いを寄せる日本人の心の「みなもと」に対する素直な感動がそこに表現されている、
そんな風にも解釈できるような気がします。
そして良経さんがこの歌を詠んでからおよそ800年。
やはり21世紀に生きる我々も、桜が咲いたと聞けば老若男女問わず花見に押し寄せ、
様々な世代・ジャンルの歌手によって歌われる桜の歌に感動する。
この歌を見ていると、桜を愛でる日本人の営みにもはじまりがあり、
連綿と受け継がれてきた時の流れの上に、今の自分の感動があるのだということをつくづくと実感します。
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(藤田)