ある偽作家の生涯

井上靖の作に標記のような小説がある。
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ある偽作家の生涯 (新潮文庫)
ある日本画大家の伝記作成の取材過程で、その大家の偽作を為したとされる、
原芳泉なる人物の存在を知った語り手「私」は、次第にこの偽作家の生き様へと関心を向けていく。
自分ではない誰かになりすまさねばならなかった者の心中をかいま見ようとする衝動が、
物語を牽引する動因となっている。


井上は、その晩い作家デビューの以前に、大阪毎日新聞の美術記者をつとめていた経歴をもっていて、
この時の経験あってのことだろう、美術に関するエッセイも多く遺しているし、
こうして美術品ないし美術界そのものを題材とした小説もものしている。
この小説の登場人物にもモデル比定がなされているが、ここではそのことは置く。
山あいの寒村に打ち上がるきらびやかな花火という情景が、この作品の掉尾をかざっているわけだが、
劇中の事象を、倫理的ないし論理的に裁断するのではなく、
詩情あふれるなにがしかの情景として固化し、読者の前に提供するというのは、
井上靖の常套といっていい方法である。
これはあるいは、小説のひとつの型として普遍であるといってもいいかもしれないが、
この一種幻想的な情景が、語り手の「私」の眼前に展開した現実ではなく、
あくまで芳泉に関する伝聞としてあり、あくまで「私」の脳中に描き出された想像の情景であるところが、
またひとつ意義深いところであろう。
それだけ、自分もおのれの名のもとに何をかを為し、
世に問いたいという芳泉の欲求が、その生涯をあとづけてきた「私」の心に響いた、ということなのだろう。
この結末はいろいろに解釈できるだろうが、ある種の「美しさ」があることは否みがたいところだとおもう。
善悪二元の分別には回収しきれない人の生のありようが畳み込まれているようにおもわれる。
(佐藤)