古典にみる季節の表現

今回初めて本ブログを担当させていただく古書部の藤田と申します。
よろしくお願いいたします。
さて、5月5日は端午の節句です。
そこで今回は古書部らしく(?)、
近松門左衛門の作品「女殺油地獄」に見える端午の節句について触れてみたいと思います。
「女殺油地獄」といえば、「油まみれになって繰り広げられる凄惨な殺し」のイメージが強いですが、
歌舞伎や文楽での義太夫さんの語り、あるいは近松の文章を追っていくと、
この芝居で設定されている季節は端午の節句であり、その表現が巧みに取り入れられていることがわかります。
例えば、主人公・河内屋与兵衛に殺害される、同業者の油屋の妻・豊島屋お吉が息絶える瞬間は、
このように描かれています。
「軒の菖蒲もさしもげに。千々の病は避くれども。過去の豪病逃れ得ぬ。
菖蒲刀に置く露の魂も乱れて息絶えたり」
岩波書店「日本古典文学大系49 近松浄瑠璃集上」より)

近松浄瑠璃集 上 (新 日本古典文学大系) 近松浄瑠璃集 上 (新 日本古典文学大系)
(1993/09/20)
近松 門左衛門、松崎 仁 他

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お吉の災難を、端午の節句に行われていた、病気除けのために軒に菖蒲を挿す風習を絡めて表現し、
また、与兵衛が凶器に用いた刀は、
菖蒲の葉を刀に見立てて男児が差したという「菖蒲刀」の言葉に、
そしてその凶刃に斃れたお吉の命を、
菖蒲の葉から零れ落ちて散ってしまう儚い「露の玉(=魂)」にたとえます。
舞台の絵面だけみていると緊迫感溢れる凄惨な光景が繰り広げられているのに、
その状況を語る言葉は哀しく、美しく、そして、端午の節句の季節感を感じさせるもので彩られています。
そういうところにまず、江戸時代の人の表現力の豊かさを感じます。
また、大坂の町人たちにとって「節句」といえば、「節季」。今でいう決算期でした。
与兵衛は、その「節季」を超えると返済額が5倍になる高利貸しに手を出しますが、
返す当てもなく家を追い出され、彷徨う内に豊島屋にたどり着きます。
そして、決算前になると、今も会社などではできるだけ売掛金を回収しようとしますが、
それは当時も同様で、この時、豊島屋の主人は「節季」の売掛の取立てに奔走していて不在。
家に居るのは妻と娘のみ。
そこで、借金返済に追い詰められていた与兵衛は、短絡的な強盗殺人事件を起こしてしまうのです。
こうしたことから、商売人が多かった当時の大坂では、このような「節季」に絡む殺人事件が、
今の私たちよりもずっと身近に起こり得る事件として受け止められたのではないかと思います。
この芝居は享保六(1721)年の初演当時には評判が芳しくななかったと言われますが、
当時の観客にとってはあまりにリアル過ぎたために不評だったという可能性も、
もしかするとあるのかもしれません。
昔は、季節毎の慣習や風習が今よりもずっと人々の身近にあったと思います。
だからこそ、季節感を表す言葉が芝居の中にあることで、当時の人々は、
よりその世界をリアルなものとして感じることができたのではないかと思います。
現代人の古典離れが指摘されている昨今、たまにはこうした季節の表現を切り口にして、
古典芸能や古典文学に触れてみるのも面白いのではないでしょうか。
(藤田)