伝えしもの 「和の美」5月号特集

新人さんを見習って、たまにはマジメに仕事の話を。
「和の美」5月号の原稿がようやく手を離れ、
〆切から一旦解放されましたので久々に部屋の整理をしていたら
中島敦の『山月記』が出てきました。
よく知られた話ではありますが何回読んでも大変に衝撃的で、
自分の考え方を何度も変えてくれる作品の一つです。

李陵・山月記 (新潮文庫) 李陵・山月記 (新潮文庫)
(2003/12)
中島 敦

商品詳細を見る


『山月記』は作者自身の物語でもあったようで、
「あの虎の叫びが主人の叫びに聞こえてなりません」と
中島の妻・タカが語ったように李徴と中島の姿は重なります。
虎の最期の望みを聞き届ける友人・袁傪のモデルは(諸説あるようですが)
一高・東京帝大時代の親友で後に文部官僚になった釘本久春がその一人として挙げられています。
そして、虎の台詞の中で最後に触れられる「飢え凍えようとする妻子」は、
闘病の果てにやせ細った中島の亡骸を「おかわいそうに」と家まで抱いて帰った妻のタカと、二人の息子。
高校の授業で読んだときは「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を抱えて
醜い虎になってしまった主人公こそ自分だと感じた記憶がありますが、
今読み返すと「彼の詩を書き留めて後世に伝えようとする友人」や
「散々苦労させられたのにやさしく看取ってしまう妻」にも感情が重なり、
どれも自分のような気持ちになります。
このうち釘本久春はまさに袁傪のように中島の遺志を継いで全集の発行や
『山月記』の高校教科書掲載に尽力しましたが、
彼が亡くなった後もさらに様々な研究者・編集者によって中島の書いたものは受け継がれていきます。
例えば、戦争中に中島が赴任先の南洋から日本の家族宛に送り続けた
書簡をまとめた『中島敦 父から子への南洋だより』は、
釘本が世に出したいと思ってできないまま家に秘蔵されていた資料を
文芸評論家の川村湊氏が発見し書籍化したものです。
この仕事により川村氏は中島・釘本両者の遺志を継いだことになります。
才能を十分に認められることなく33才という若さで亡くなった中島を
「日本を代表する作家」にまで引き上げた彼らの仕事を振り返ると、
「伝えていく」ということはこういうことなのだと教えられます。
* * *
ここで宣伝に移りますが、まもなく発行の「和の美」5月号では
後世に伝えたい作家の作品をまとめてご紹介するシリーズ「伝えしもの」を約一年半ぶりに行います。
天寿を全うし安らかな気持ちで筆を置いた作家も、
敦のように無念と狂気の中で亡くなった作家も、
「自分の描(書)いたものを次の世に伝えて欲しい」という願いは
おそらく共通して持っていたことでしょう。
今回取り上げる画家は池上秀畝です。
美麗な花鳥画を一挙掲載しておりますので、
私のように花粉症で満足なお花見もできなかった方も、
ぜひ誌上で目の保養をしていただければと思います。
(山田)