狩野派の作品に触れて

はじめまして。この春入社いたしました、柴田と申します。
今年度は私を含めて6人の新入社員が入社しました。
皆様どうぞ、よろしくお願いいたします。
さて、去る5月の日曜日。私ごとですが、京都国立博物館で開催されておりました
「桃山時代の狩野派‐永徳の後継者たち‐」展に行ってまいりました。
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この展覧会では、織田信長や豊臣秀吉の庇護の下、『唐獅子図屏風』など
豪華絢爛で桃山時代らしい金碧大画を描き、希代の天才と言われた
狩野永徳亡きあとに続く狩野派の作品が展示されていました。
狩野派は、江戸時代に入り幕府の御用絵師として活躍しましたが、
永徳没後の勢力は安定したものではありませんでした。
秀吉の早世した子、鶴松の菩提を弔うために建てられた祥雲寺(現:智積院)の
障壁画制作が、ライバル長谷川等伯らに指名されたのです。
しかし、新しく棟梁となった光信は豊臣秀吉の肖像を描いたり、
相国寺法堂の天井画を描いたりと大いに活躍し、勢力の巻き返しに成功。
その他、一族は徳川家の要請による二条城の壁画制作や、朝廷の絵事にも多く携わりました。
このように、豊臣、徳川、朝廷の三大勢力が拮抗する中、
狩野派は一族を分散させて生き残る戦略、いわゆる「三面作戦」を展開したのです。
画風も時代が下るにつれ永徳のような豪勢な筆致から、どこか繊細さをもった画風へと移り変わります。
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狩野探幽が寛永11年(1634)に描いたとされる『柳鷺図戸襖』。
金が散らされた襖に水墨淡彩の柳が一層引き立ち、繊細で華やかで豪勢だった
桃山文化の雰囲気とはまた違った新しい時代の空気を纏っているように感じました。
この展覧会を通して狩野派の画風の移り変わりをみることができ、
さらには、激動の時代を背景にして、生き残りをかけた彼らの
様々な“知恵”も垣間見ることができ、大変勉強になりました。
(柴田)