棟方志功 祈りと旅

先週末、地元に帰る用事があったので、
学生時代によく足を運んだ愛知県芸術文化センターに行ってきました。
10階にある愛知県美術館では、本来なら7月には
「プーシキン美術館展 フランス絵画300年」を予定していたそうですが、
東日本大震災の影響により、中止となってしまっていました。
その代わり、東北復興支援特別企画として、既に昨年から全国を巡回していて、
当初は福岡県立美術館が最後の巡回館となるはずだった、
「棟方志功 祈りと旅」展が開催されていました。
東北出身の版画家である棟方志功
ゴッホに触発されて美術の道を志し、故郷の青森を出て上京した作家ですが、
その芸術のルーツはふるさと東北、とりわけ津軽の風土にあったことを、
観る者にしみじみと実感させる展覧会になっていたと思います。
展覧会の目玉はなんと言っても、
全長およそ26mにも及ぶ、作家最大の作品《大世界の柵》。
美術館の公式ブログでは、その巨大な作品が展示される様子を見ることができます。
http://blog.aac.pref.aichi.jp/art/
弁財天妃の柵

(さらに…)

青木繁展

京都国立近代美術館で開催されている
「青木繁展―没後100年 よみがえる神話と芸術」展に行ってきました。
青木繁が20才で画壇デビューを果たしてから、28才の若さで没し、
死後に再評価されるまでを時系列に追った展示になっており、
青木繁の人生を浮かびあがらせています。
aoki.jpg

(さらに…)

亀岡と応挙

京都市の西隣に位置する亀岡市は、私の地元です。
電車で通っている、と言うと、決まって「遠いでしょ?」と返されますが、
駅の改築と複線化のおかげで、随分便利に通いやすくなりました。
亀岡にゆかりのある人物には、明智光秀や石田梅岩などが挙げられますが、
江戸時代を代表する画家・円山応挙も、忘れてはならない人物のひとりです。
彼は8歳から15歳までお寺で生活し、住職の死を機に京都へ出て絵画の勉強を始めました。
そのお寺が、この金剛寺(別名:応挙寺)です。
金剛寺全体
応挙は画家として大成してから再びこのお寺を訪れ、
両親の追善供養と幼少時代の感謝を込めて、
本堂の襖と壁に障壁画「山水図」「波濤図」「群仙図」を残しました。
現在障壁画は国の重要文化財に指定されており、
「群仙図」は毎年11月3日の文化の日に無料公開されています。
(「山水図」「波濤図」は東京国立博物館に寄託)
また普段は本堂にある「波濤図」の復元図を見ることが出来るそうですが、
私が訪れた時は、生憎お寺の事情でお目にかかることが出来ませんでした…。
金剛寺入口 金剛寺内 金剛寺説明
日を改めて見に行くことにします。
他にも亀岡には、湯の花温泉、保津川下り、トロッコ列車といった観光名所があります。
是非一度お越しください。
金剛寺HP http://www.kongouji.net/
亀岡市観光協会HP http://www.kameoka.info/
(平野)

秋艸道人

皆さまこんにちは。
入社して2ヶ月が経ち、最近では仕事をしながら作品を愛でる余裕も持てるようになり、
仕事意欲に燃える日々を送っております。
今回は、思い入れのある作家の一人である、会津八一について書こうと思います。
会津八一(1881~1956年)は歌人であり、書家であり、また美術史家でもありました。
名前は、新潟市の料亭会津屋の次男として、8月1日に誕生したことに由来します。
八一ゆかりの地は、奈良や新潟をはじめ全国各地に存在し、その多くに八一の詠んだ歌の碑が建立されています。
會津八一記念館(新潟市)が確認している自筆歌碑は41基にもなるそうです。
新潟県のお隣の長野県にも、八一ゆかりの地が存在します。
長野県内で有名なのは上高井郡高山村山田温泉ですが、
東筑摩郡朝日村もまた八一ゆかりの地であり、村内には『研精覃思』の書碑があります。
この書碑は、昭和5(1930)~8年に至る4年間、
毎秋八一がこの村に招かれて仏教美術の講演をした記念に建立されたものです。
yaichi1.jpg
研精…詳しく研究すること。細かく調べること。
覃思…深く思う。深思。
yaichi2.jpg
長野県東筑摩郡朝日村から松本平を望む
八一は書を習ったことはなく、その代わり、縦線や横線、丸を書く練習を沢山したと聞きます。
そのためか、八一の字は形式に囚われることなく、とても人間臭くて温かみのある字であると私は感じました。
また、八一の作品には字と共に、かわいらしい落書きの様な絵が描き添えられていることもあり、
鑑賞していてなんともほのぼのとした気分になります。
(三村)

進化して変化―極並佑展

現代作家の、特に「若手」と呼ばれるアーティストの作品を見る楽しみの一つに、
その作品の変化や成長を見てとることがあげられるのではないでしょうか。
しかし、特定の作家の作品を回を重ねて見続けるというのはなかなか簡単なことではありません。
作家が意欲的に定期的な作品発表をするのかも、
たとえ開催されても自分が実際に足を運べるのかどうかも分からない場合が多いからです。
それでも、偶然にでも「あ、あの人がまた展示をする」と知り、または案内を頂いて足を運べる時は、
どこか期待をしていく自分に気づきます。
とはいえ、必ずしも前回よりも今回の方が良い作品を並べているのかどうかは
観てみないと決して分からないものです。
たとえ、作家本人が自分のなかで起きた心情や作風の変化があったとしても、
それが観る側に正しく伝わっているのかどうかは別問題であると。
「前の方が良かった?」それとも「確かに成長している!」と感じるかどうかは常に分からない状態にあり、
それだけ観る側は極力フラットな冷静な気持ちで作品・作家と向き合い続けることが必要であると感じています。
極並2

(さらに…)